「防災は社会を明るくする!」
 ”災害”は、生活の全てに影響を及ぼします。
 ”防災”は、それらの影響を防ぎ、軽減するために行う営みです。
 つまり、”防災”は、生活の全てに対して行います。
 発想を変えれば、”防災”は生活の全てを豊かに、そして、明るくするチャンスを持っているということです。

2015年11月22日日曜日

なぜ、防災アドバイザーになるの?



こんばんは、
防災アドバイザーの小野修平です!


昨日は、「これまで抱いてきた将来の夢。」というタイトルで、
私の夢をご紹介したわけですが、そんな私がナゼ、
「防災」の講師やコンサルタントを目指そうと思ったのかを
今日はお話したいと思います\(^o^)/


もし、昨日の記事をまだご覧になっていない方は、
ぜひ、そちらもご覧ください!!


http://j-bousailabo.blogspot.jp/2015/11/blog-post_21.html?m=1


さて、21年ちょっと生きてきた中で、ここ10年を振り返っただけでも、
本当にジャンルの違う夢を色々と抱いてきました。


そんな私が、なぜ防災アドバイザーになろうと思ったのか。


発端は、中学校1年生まで遡ります。


東京都には、各消防署の管轄区域毎に「消防少年団」という団体があり、
都内に80団ありますが、この中の西東京消防少年団に入団しました。


最初は、人数が少ないからという理由で声を掛けられ、
あんまり乗り気ではなかった記憶がありますが、
同学年が一人もいなかったせいで中3で隊長に任命され、
その後も準指導者、指導者という形で後輩指導には携わっていました。


そんな中、2011年3月11日に東日本大震災が発生。
この時、私は高校2年生で、もうすぐ3年生になる時期でした。


周りの友達よりは防災教育を受けていたはずなのに、
適切な対応が取れなかったことや、辛い思いをしている方々のために
何かをしたいと思っても、何も出来なかったことに
自分をすごく責めるような日々を送っていました。


それから受験が終わり、大学生になった私は、消防少年団での
指導に力を入れ、共に指導者をやっている方々と、
指導の質を高めるために尽力をしておりましたが、それでもやはり、
将来は教師を目指していたので、防災はオマケのような位置づけでした。


そして、大学2年生になり、大学の友達と子供のための企画を
しようということになり、たまたま出てきた案が防災教室。


この防災教室のお話はまたいつかしようと思いますが、
私達が目指したものは「家庭・学校・地域の連携」であり、
ここで気が付いたことは、「防災を通してアプローチをすれば、
人々の関心を得やすい」ということです。
「子供の安全」というフレーズは、全ての人に受け入れられ、
関係者全員が立ち上がるきっかけになったのです。


そして、この気付きから発想を膨らませてみたところ、
現在、様々な社会課題があって、防災のみならず、
子育て、教育、福祉、環境、防犯、地域コミュニティ等、
多くの分野で多くの方がご尽力されている一方、
頑張っている方は固定化してしまい、なかなか軌道に乗らないという
現状を多く目にしておりました。


しかし、防災以外の分野は、もちろんみんなでやるに越したことは
ないですが、一方で、全員じゃなくても物事は進むことに
気がつきました。これは、各分野でご尽力されている方々に
聞いてみて、共通の課題認識としてわかってきたことです。


その一方で、防災はというと、現状は全員で出来ていないのですが、
いざ災害時を想定してみると、全員でやらないことが逆に
足を引っ張る可能性があると思うのです。それだけ、
災害というもののインパクトが強いと言えるでしょう。


防災はみんなが同じ方向を向き、課題を認識して、
共に行動をしていかなければ、災害に強い体制は作れません!


さらに気が付いたことは、災害というのは日常生活の全てに
影響を与えます。それを逆転の発想として考えてみれば、
日常生活の全てに防災対策が必要であり、防災という切り口で
アプローチをかけていけば、多くの人の関心を惹きつけることが
出来るのではないかと考えたのです。


この気付きはそれまで色々な夢を抱いた末、教員志望だった私に
大きな影響を与えました。


私自身、仕事としてやりたいことがたくさんあるが、
「防災」をツールにしていけば、今までやりたいと思ったことを
全て仕事にすることができるとともに、「防災」ならば、
山積みの様々な社会課題に対してもアプローチができ、
多くの人を振り向かせ、より良い社会に発展できると確信しました!


そして、私の進路は大きく変更。


防災を通して、多くの人と関わり、社会を明るくできる仕事を一生懸命探しました。


しかし、自分が思い描いている仕事がない(;_;)


それならば、「まだ若いし、起業してみるかぁ!」
ということで、防災アドバイザーとしての起業に踏み切ったわけです。


こんな私、
よく「変人」って言われます😁


まあ、自覚はあるので、今日のブログは、
「小野ってやつ、変人なんだなぁ〜」ってことを
思っていただければ、良しとしましょう!


では、また〜


防災アドバイザー  小野修平




2015年11月21日土曜日

これまで抱いてきた将来の夢。



こんばんは。「無理をしない防災」を伝授する、
防災アドバイザーの小野修平です(^-^)/


超〜久しぶりの更新です。
知り合いから、「ブログサボるなよ!」と尻を叩かれ、
二週間ぶりに更新いたします…


さて、今日は自己紹介も兼ねて、
これまで21年ちょっと生きてきた中で
私が抱いてきた「将来の夢」の話をしようかと思います✨


【建築士?大工?】
小学校3年生の頃だったでしょうか。
旅行で行った群馬県のペンションがとても立派な建物で、
「こんなお家に住みたい!」と思ったのをキッカケに、
建築関係に興味を持ちました。それから、新聞広告に入る
住宅物件のチラシを毎日チェックしては、見よう見真似で、
設計図をたくさん書いていた記憶があります。
また、学校の帰り道に大工さんがいて、廃材をもらっては、
ノコギリでギコギコ工作をしていました。今はその大工さんは
亡くなりましたが、我が家に立派な神棚を作ってくださり、
今でも毎日、その神棚に手を合わせております。


【料理人】
小学校4年生になると、よく台所に立っていました。
この頃、ひいおばあちゃんと住んでいたので、料理も教えてもらいました。
自分で作った料理を褒めてもらったことが嬉しくて、
和洋中問わず作っていましたし、ケーキやパンを作ることも。
しかし、未だに盛り付けが超下手っぴで、料理人は無理っすね(・・;)


【パン&ケーキの材料屋】
小学校6年生の時のことです。
先程、ケーキやパンを趣味で作っていたと紹介しましたが、
実はすぐ近所にパン屋さんに材料を納めている商店があります。
また、その繋がりで、自転車で5分程走ったところに、
ケーキの材料屋さんもあります。この二つのお店の方に
すごい可愛がってもらい、商品を仕分けて詰めたり、
夏休みなんかは一緒に配達も行ったりしました。
中学生で職場体験が授業の一環でありましたが、プチ職場体験を
この時に経験して、「働く」ということを身近に感じた経験でした。
お駄賃ということで、500円もらったのですが、この時の感情は
今でも忘れることができません!


【教師】
中学校に入り、今では信じられないと言われますが、
手のかかる生徒だったので、先生方にはたくさん迷惑をかけました。
しかし、先生方はたくさんのことを褒めてくれたし、
間違えたことをしている時は本気で叱ってくれていました。
そんな経験から、次第に落ち着きを取り戻していくとともに、
教師という職業に興味を持ち始めました。このあと、
少しブレる時期もありますが、大学3年生までは教員志望です。


【福祉関係】
昔から、ひいおばあちゃんや祖父母に可愛がられていましたし、
地域活動の一環として、毎年1回、老人ホームへ
訪問した経験も重なり、おじいさん・おばあさんと
関わることが好きでした。第一志望は教員だったのですが、
大学受験の時まで、教員の次に福祉の道も捨てられずに
過ごしていました。


そして、結局は教員養成系の大学へ入学。


大学受験の際は、高校でも先生方に恵まれたので、
教員になりたいという気持ちが強かったものの、
福祉の道に進むことも悩んでいましたが、結局大学は
教育学部を選択しました。


しかし、ここまで紹介した夢だけでもたくさんある上、
消防官、自治体公務員、自衛官、教習所の教官、船長などなど、
本当に色んな夢を抱く人生を歩んできました。


そんな私が何故、「防災」を中心とした講師やコンサルタントを目指そうと思ったのか。


全く繋がりが無いように見えて、これらを全部吸収してしまったのです‼︎‼︎


これはこれで話が長くなりそうですし、次回に回しますね\(^o^)/


では、、、


防災アドバイザー  小野修平



2015年11月5日木曜日

どうして、11月5日が津波防災の日なの!?



こんにちは。
防災アドバイザーの小野修平です(^^♪


さて、昨日の記事「津波が……いち早く○○ところへ避難!」は
読んでいただけましたでしょうか?まだの方は、先にチェックを。


今日は、昨日の記事に引き続き、津波のお話をしたいと思います!


本日、11月5日は、「津波防災の日」です。


でも、「なんで今日が津波防災の日なの??」とお思いの方も
いるでしょうから、さっくりと解説しますね!


***


遡ること、今から150年ちょっと前の1854年。
時代としては、江戸時代の後期ですね。


その1854年の11月5日(旧暦)に、
今、世間を騒がせている「南海トラフ沿い」を震源とする巨大地震が
発生したのです。これは、「安政南海地震」という地震です。


国は東日本大震災後、国民の津波防災への理解と関心を深めるべく、
「安政南海地震」が発生したこの日を「津波防災の日」として定めました。


そして、この安政南海地震では、防災の世界では結構有名なお話が
誕生するきっかけにもなりました。


そのお話は、「稲村の火」(いなむらのひ)と言います。
要約すると、、、


***


主人公の「五兵衛」は、大きな揺れが収まった後、庭に出てみると、
下の村に住んでいる住民は逃げる様子もない。


が、海の様子は明らかにおかしい。津波が来る。


そう確信した五兵衛は、家の中から松明(たいまつ)を持ち出し、
なんと、稲束に火をつけたのである。


村民は慌てて五兵衛の家に集まってくる。
若者も老人も、女性も子供も。


慌てて火を消そうとする住民を止める五兵衛。
その行動の理由はすぐにわかった。


津波が下の村を全部飲み込んだのだ。


***


とてもザックリとまとめてしまいましたが、全文を読みたい方は、
稲村の火』で読めます。ちなみに、このお話は国語の教科書に
載っていたこともあったんです。


さて、自分の財産を犠牲にして、村民の命を救った五兵衛ですが、
この人にはモデルがいるんです。そう、実話なんです。


当時、和歌山県で醤油製造業を営んでいた「濱口梧陵(ごりょう)」
という方がモデルになっています。なお、実際には津波から逃げる
住民の導きのために稲束へ火をつけたと言われております。


この教訓を後世に伝えるべく、和歌山県に「濱ロ梧陵記念館」と
「津波防災教育センター」から成る「稲むらの火の館」があるので、
一度訪れてみたいと思いつつ、まだ叶っておりません。


いつか、この施設に訪問できたら、レポートしたいと思っています。


さて。
津波とは、一瞬にして命や財産を奪ってしまう恐ろしいものですが、
とっさの判断ですぐに行動ができれば、命は助かります。


昨日も言いましたが、海岸や河口付近で大きな地震に遭ったら、
「最善を尽くし、高台へ避難する!」ということが大切です。


東日本大震災から4年半以上が経ちましたが、
二度と多くの命が失われないよう、今一度、
「津波の恐ろしさ」と「避難の大切さ」を考えていただければ幸いです。


では。


                               防災アドバイザー 小野修平


2015年11月4日水曜日

津波が……いち早く○○ところへ避難!



みなさん、こんにちは。
防災アドバイザーの小野修平です!


本日は、Twitter(@jyojibousailabo)で、
「参加型防災○×クイズ」をやってみたのですが、
見事に反応無し……


思わず、苦笑いしてしまいました。


ブログを読んでいる方はそこそこ増えてきているので、
反応があるかな、と思ったのですが、現実は甘くないですね。
これからも地道に頑張らなければ。


まだまだフォロワーさんが少ないので仕方ないという気持ちと
皆様、災害への意識が少し低下しているのかな、と少し危惧
する気持ちが入り混じっておりますが、本題へ戻りましょう。


さて、どのような問題を出したかというと、

【参加型防災○×クイズ】明日は津波防災の日。そこで今日は、津波避難に関する問題を出題!「大きな地震!とにかく海岸や河口から遠いところへ逃げよう!」○だと思う方はリツイートを、×だと思う方はお気に入りを!〆切は今日の15時まで。

でした!


正解は~ 「×」です!!


これを子供達に出題すると、「○」と答えちゃうんです。
「遠くに逃げれば安心…」と思うのでしょうね。


しかし、津波避難の原則は、「高いところへ!」なんです。


そして、もう一つ大事なことは、
「諦めず、全力を尽くす!」ということです。


よくテレビなどで報じられていたので、御存知の方も多いでしょうが、
「釜石の奇跡」で有名になった釜石の子供達は、当初指定されていた避難場所に
避難した後も、さらに高いところへ避難していきました。


結果的に、指定されていた避難場所にも津波が押し寄せ、
全力を尽くしていなければ、釜石でもさらに多くの命が失われていました。


海岸や河口付近にいる時に大きな地震が来たら、
「ここまでは来ない」などと考えてしまわず、
全力で高台を目指していくことが大切です。


ところで、明日11月5日は「津波防災の日」です。


その由来はまた別の機会で記事にしたいと思います。今日はこの辺で!


防災アドバイザー 小野修平

2015年11月1日日曜日

【災害食レシピ】さんま缶みそ汁



こんにちは。
防災アドバイザーの小野です。


私の研究テーマの一つとして、「災害食レシピ研究」があります。


これは、備蓄しやすい食品を用いて、ライフラインが止まっていても、
栄養バランスの取れた食事をするためのレシピ研究です!


災害時に届く支援物資は、「おにぎり」、「菓子パン」、「カップラーメン」が中心で、
炭水化物塩分に偏った食事になりがちです。


たんぱく質ビタミンミネラルが不足すると身体が不調になるとともに、
運動不足やストレスに晒された生活を続けていれば、病気になる可能性が高くなり、
高齢者などは死に至る可能性だってあります。


そこで、今日から地道に栄養バランスを重視したレシピを順次ご紹介していく予定です!
慣れない栄養価計算に苦労していますが、頑張っていきます…


さて、今回のメニューは、さんまの缶詰で作る「さんま缶みそ汁」です!!



★★材料(1人分)★★

 ・さんまの缶詰(水煮でも煮付でも可!)……2切(約35g)
  ※1缶(200g)に8切程入っていますので、1缶で3~4人分作れます。
 ・みそ……小さじ2
 ・乾燥わかめ……1g(ティースプーン山盛り1杯分)
 ・お湯……150cc


             (※写真は1人分の材料。)



★★作り方★★


(1)お椀に、「さんま」、「みそ」、「乾燥わかめ」を入れる。




(2)「お湯」(150cc)を注ぎ、みそを溶かしながら混ぜる。




できあがり!簡単でしょ!?



★★特徴★★


・お椀の中で調理をするので、調理器具は不要!


・材料は全て備蓄性の高い食品を使用!
 ⇒さんまの缶詰:約10ヶ月間
 ⇒みそ:約5ヶ月間
 ⇒乾燥わかめ:約1年間


・お湯を沸かす環境さえあれば、調理可能!



「水煮」と「煮付」の2種類を試してみましたが、好みは分かれるみたい…


個人的には、「煮付」の方が美味しいと感じたけれど、
「煮付」は調味料を色々と使っているので、塩分などを気にされる方は
「水煮」を使った方が良いですね!


なお、今回はお椀の中でみそ汁を作りましたが、1杯(150cc)の場合、
みそは「小さじ2」が丁度良いお味になりました。


是非、作ってみてくださいね♪