「防災は社会を明るくする!」
”災害”は、生活の全てに影響を及ぼします。
”防災”は、それらの影響を防ぎ、軽減するために行う営みです。
つまり、”防災”は、生活の全てに対して行います。
発想を変えれば、”防災”は生活の全てを豊かに、そして、明るくするチャンスを持っているということです。
2015年11月5日木曜日
どうして、11月5日が津波防災の日なの!?
こんにちは。
防災アドバイザーの小野修平です(^^♪
さて、昨日の記事「津波が……いち早く○○ところへ避難!」は
読んでいただけましたでしょうか?まだの方は、先にチェックを。
今日は、昨日の記事に引き続き、津波のお話をしたいと思います!
本日、11月5日は、「津波防災の日」です。
でも、「なんで今日が津波防災の日なの??」とお思いの方も
いるでしょうから、さっくりと解説しますね!
***
遡ること、今から150年ちょっと前の1854年。
時代としては、江戸時代の後期ですね。
その1854年の11月5日(旧暦)に、
今、世間を騒がせている「南海トラフ沿い」を震源とする巨大地震が
発生したのです。これは、「安政南海地震」という地震です。
国は東日本大震災後、国民の津波防災への理解と関心を深めるべく、
「安政南海地震」が発生したこの日を「津波防災の日」として定めました。
そして、この安政南海地震では、防災の世界では結構有名なお話が
誕生するきっかけにもなりました。
そのお話は、「稲村の火」(いなむらのひ)と言います。
要約すると、、、
***
主人公の「五兵衛」は、大きな揺れが収まった後、庭に出てみると、
下の村に住んでいる住民は逃げる様子もない。
が、海の様子は明らかにおかしい。津波が来る。
そう確信した五兵衛は、家の中から松明(たいまつ)を持ち出し、
なんと、稲束に火をつけたのである。
村民は慌てて五兵衛の家に集まってくる。
若者も老人も、女性も子供も。
慌てて火を消そうとする住民を止める五兵衛。
その行動の理由はすぐにわかった。
津波が下の村を全部飲み込んだのだ。
***
とてもザックリとまとめてしまいましたが、全文を読みたい方は、
『稲村の火』で読めます。ちなみに、このお話は国語の教科書に
載っていたこともあったんです。
さて、自分の財産を犠牲にして、村民の命を救った五兵衛ですが、
この人にはモデルがいるんです。そう、実話なんです。
当時、和歌山県で醤油製造業を営んでいた「濱口梧陵(ごりょう)」
という方がモデルになっています。なお、実際には津波から逃げる
住民の導きのために稲束へ火をつけたと言われております。
この教訓を後世に伝えるべく、和歌山県に「濱ロ梧陵記念館」と
「津波防災教育センター」から成る「稲むらの火の館」があるので、
一度訪れてみたいと思いつつ、まだ叶っておりません。
いつか、この施設に訪問できたら、レポートしたいと思っています。
さて。
津波とは、一瞬にして命や財産を奪ってしまう恐ろしいものですが、
とっさの判断ですぐに行動ができれば、命は助かります。
昨日も言いましたが、海岸や河口付近で大きな地震に遭ったら、
「最善を尽くし、高台へ避難する!」ということが大切です。
東日本大震災から4年半以上が経ちましたが、
二度と多くの命が失われないよう、今一度、
「津波の恐ろしさ」と「避難の大切さ」を考えていただければ幸いです。
では。
防災アドバイザー 小野修平
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